ファイティング原田の凄さや物語も紹介!袴田の支援復活?戦績やジムも

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今日はファイティング原田選手についてのご紹介です。
かなり古い選手で現在は日本ボクシング協会の終身名誉会長。
19歳で世界タイトルを獲得し、さらに日本人初の世界2階級制覇などこれまでの日本人のプロボクサーができなかったことを次々と成し遂げ期待の新人選手としてデビューしています。
引退後はファイティング原田ボクシングジムを作りそこで若い選手を育成しているようです。
そしてボクシングの事件として有名な袴田事件の支援もされており、「あの事件は冤罪!」とリングで熱弁するなど先陣を切って活動されているようです。

ファイティング原田の凄さは?

ファイティング原田
ファイティング原田3
生年月日:1943年4月5日
所属ジム:笹崎ボクシングジム
出身:東京都
階級:バンダム級
戦績:63戦56勝(23KO)7敗
勝率:8割(KO率3割)
国内タイトル

  • 第17回東日本フライ級新人王
  • 第7回全日本フライ級新人王

世界タイトル

  • 第16代WBA世界フライ級王座
  • 第5代WBA世界バンタム級王座
  • 第2代WBC世界バンタム級王座

1960年に新人王に輝きその後連勝を25まで伸ばしたという伝説があります。
負け知らずですね。
そしてWBA世界フライ級王座に就いたのはなんと19歳の時!
当時は怪物みたいな選手が出てきたと思った人も多いのではないでしょうか。

現在は「ファイティング」という名前を名乗ることはできないので、当時ならではのリングネームです。

ボクシングF
タイトルでも言っているファイティング原田選手の凄さをご紹介したいと思います。
ファイティング原田選手の紹介文でも書いている新人王から25連勝、そして初の世界タイトルを19歳の時に成し遂げているのも間違いなくすごいんですが、それ以上に当時日本人初の2階級制覇という事そして世界フライ級タイトルマッチで勝利した相手が「黄金のバンダム」と呼ばれいまなお歴代最強と言われる
<class=”akamozi”>エデル・ジョフレから勝ち取ったものという偉業です!

現在は世界ボクシングの世界チャンピオンは暫定王者などを含めると70人以上もいることになります。
しかし当時は1団体8階級のみ、つまり世界王者は8人しかいなかったんです。
その中での2階級制覇は今と比べ物にならないほど難しいことでした。
そんな偉業を成し遂げたんですから伝説にもなりますよね。

ちょいメモ(世界チャンピオン)

ボクシングE
一言に世界チャンピオンと言っても様々な団体があります。

    世界チャンピオンを認定する団体は4つ

  • WBA(世界ボクシング協会)
  • WBC(世界ボクシング評議会)
  • IBF(国際ボクシング連盟)
  • WBO(世界ボクシング機構)

そしてプロボクシングの階級は17階級あります。
4団体それぞれに17階級あるので単純計算で68人という事になるのですが、その他にも例外があり実際のチャンピオン人数は状況によって多くなったり少なくなったりします。

例外チャンピオンには
暫定チャンピオン
正規のチャンピオンが負傷や病気で防衛戦ができない場合、その地位を認めたうえで別の世界チャンピオンを作る。
正規のチャンピオンが復帰した時点で暫定チャンピオンと正規のチャンピオンで決定戦を行うが、一時的に2人存在することになる。
統一チャンピオン
複数団体にまたがってチャンピオンになること。
スーパーチャンピオン
WBAにだけあるもので、WBAを含めて統一チャンピオンになった場合その選手をスーパーチャンピオンとし認定の上WBAチャンピオンを空位にする。
その他にもWBAのチャンピオンを5度あるいは10度防衛した選手を認定する。

以上の4つがあります。

世界チャンピオンが増えたことは喜ばしいことですが、一方でチャンピオンの乱造にもつながるという批判的な意見もあるようです。

エデルは強かった?

エデル1
しかも世界タイトルを勝ち取った相手がエデル・ジョフレという歴代最強と呼ばれる男。
エデルは19年間プロとして戦っていたのですが、19年間の試合の中で負けたのはたった2度しかなかったんだとか・・・。
ファイティング原田選手はエデルに2度勝っています。
エデルに勝つことができた唯一の選手が原田選手というとこです。

そして原田選手の凄さは視聴率にも表れていました。
1956年のアラン・ラドキン戦が60.4%(歴代8位)、1966年のエデル・ジョフレとの再戦は63.7%(歴代5位)とベスト10に原田選手の試合が2つもランクインしています。
先日の記事にも書いたのですが、プロボクサーのファイトマネーは世界タイトルマッチなど大きな試合と人気が金額に大きな影響を与えます。
原田選手に至ってはどちらも満たしている為1試合でかなりの大金が入ってきたのではないかと思います。

ファイティング原田物語を紹介

ファイティング原田1
村田諒太選手の記事でも少し話しましたが、歴代最強と言われるエデル・ジョエルに勝利したことでその話を小説やドラマにしています。
村田諒太選手の記事はこちら!

呼んだことがある方もいるのではないでしょうか。
戦績だけを見ると順風満帆に勝ち進んでいたように見えるかもしれませんが色々と大変な時期もあったようです。
もともと植木職人をしていた父と同じ植木職人になろうとしていた原田選手ですが、そのことを伝えると父から

ファイティング原田4
「男が世に出でる方法は、ひたすら努力して栄光を掴むことだと」言われます。
その栄光という言葉に心打たれファイティング原田という選手が誕生しました。
しかしプロ入りから無敗を続けてきた原田選手が初めて負け落ち込み実家に逃げ出します。
仕事中に負った大けがで寝たきりになった父親に代わり、工場仕事や家政婦で昼夜を問わずがむしゃらに働く母のもとにかえったのですが、その母に
「母さんは覚悟を決めて息子を会長に託した。」と厳しい言葉を突き付けられます。
その言葉にショックを受けた原田選手は家を飛び出していきますが、母親の体調にも段々と異変が襲います・・・。

ファイティング原田選手の辛い体験や嬉しい出来事などを書いた作品が原田物語です。

内容すべて書くのは楽しみがなくなると思うのでやめておきます。
気になる方は自分で確かめてみてください。
ここまでの話でも父親の熱い気持ちや、母親の覚悟がうかがえますね。
昔は今みたいに長距離を簡単に行き来できない時代だったので、家から出すときは親子どちらも今以上に覚悟が必要だったんではないかと思います。

ファイティング原田の戦績

ボクシングA
ファイティング原田選手はプロ入りしてから63戦しています。
その中でも大きな試合だけをピックアップして紹介したいと思います。

1961年1月28日・・・全日本フライ級新人王決定戦
6R判定〇田中 利一  ※全日本新人王獲得
1962年10月10日・・・WBA世界フライ級タイトルマッチ
11RKO〇ポーン・キングピッチ(タイ) ※WBA世界フライ級王座獲得
1963年1月12日・・・WBA世界フライ級タイトルマッチ
15R判定●ポーン・キングピッチ(タイ) ※WBA世界フライ級王座陥落
1965年5月18日・・・WBA/WBC世界バンダム級タイトルマッチ
15R判定〇エデル・ジョフレ(ブラジル) ※WBA/WBC世界バンダム級王座獲得
1965年11月30日・・・WBA/WBC世界バンダム級タイトルマッチ
15R判定〇アラン・ラドキン(英) ※WBA/WBC世界バンダム級王座防衛➀
1966年5月31日・・・WBA/WBC世界バンタム級タイトルマッチ
15R判定〇エデル・ジョフレ(ブラジル) ※WBA/WBC世界バンダム級王座防衛➁
1967年1月3日・・・WBA/WBC世界バンタム級タイトルマッチ
15R判定〇ジョー・メデル(メキシコ) ※WBA/WBC世界バンダム級王座防衛➂
1967年7月4日・・・WBA/WBC世界バンタム級タイトルマッチ
15R判定〇ベルナルド・カラバリョ(コロンビア) ※WBA/WBC世界バンダム級王座防衛➃
1968年2月27日・・・WBA/WBC世界バンタム級タイトルマッチ
15R判定●ライオネル・ローズ(豪) ※WBA/WBC世界バンダム級王座陥落
1969年7月28日・・・WBC世界フェザー級タイトルマッチ
15R判定●ジョニー・ファメション(豪) ※WBC世界フェザー級王座獲得失敗
1970年1月6日・・・WBC世界フェザー級タイトルマッチ
14RKO●ジョニー・ファメション(豪) ※WBC世界フェザー級王座獲得失敗

2階級王座を4度も防衛成功しています。
当時ではかなりの偉業ではないでしょうか。
2度もエデルを負かしているのは本当にすごいと思いますし、1度目もまぐれではなかったと言えますよね。
判定勝ちが多い所を見ると粘り強い選手だったようです。

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ファイティング原田のジムは?

ファイティング原田2
プロボクサー引退後原田ボクシングジムで今後活躍していくであろう若者たちの指導をされています。
その原田ボクシングジムで会長としてあいさつの文があります。
読んでみたのですがすごく深いことを話されているなと感じました。
少し紹介します。
ファイティング原田5
「根性」とは何かを成し遂げたものにのみ使う事を許された”勲章”のようなものである
手を伸ばせば食べ物も飲み物もあるこの豊かな時代。だが精神的にはどうでしょう。心の弱い人たちがあまりにも多くないでしょうか。恵まれた時代だからこそ、自分の中に揺るぎない強さを持ってほしいのです。
苦しさを乗り越え頑張ったもの、今に見てろと努力したもの、そういう人間が精神的にも肉体的にも一番の強さを持っていると思うのです。
ボクシングは力の続く限り血が流れるほど殴り合いうスポーツであり、ゴングの後は心から「ご苦労さん」と抱き合う事の出来るスポーツです。

この言葉一つ一つが今まで原田選手が培ってきたものがあるからこそ話せる言葉なのでしょう。
昔の激闘の時代を歩んできたからこそ、今の若者に対しもっと上を目指してほしい目指せば必ず結果が付いてくるということを経験してほしいという思いがあるのではないかと思います。

ファイティング原田が袴田事件の支援復活?

現在ファイティング原田ボクシングジム会長であり、日本ボクシング協会終身名誉会長でもある原田会長ですが、その忙しい合間を縫って袴田事件の支援もされています。
リング上で話をされている動画があったので乗せておきます。

少年院や刑務所での講演活動といった構成プログラムなどにも協力し「一生懸命やればできるという事を伝えて若い人を育てたい」と話しています。
袴田事件については輪島功一さんの記事でも少し取り上げています。
輪島さんの記事はこちら!

袴田事件はいったい現在どうなったのでしょうか?
少し調べてみました。

袴田事件現在は?

有罪判決されていた袴田巌さんは2014年の3月に冤罪として釈放されていました。
しかし47年以上も畳4畳しかない独房で過ごした後遺症は大きすぎたようです。

当たり前ですが、いつ死刑執行されるかわからない恐怖を何十年間もずっと抱え込んだまま過ごせば釈放されたからといって普通の生活に戻れるわけないですよね。
精神はとっくに壊れており現在は「拘禁反応」に苦しんでいるとのこと。

ちょいメモ(拘禁反応)

ファイティング原田6
刑務所や強制収容所などで自由を拘束された状態が続いた場合に見られる精神障害のひとつ。
神経症・うつ状態・幻覚・妄想などの症状が見られる。

またがんざー症候群という特殊な症状が見られる場合もある。
どういった症状かというと、自分の名前や物の名前などの簡単な質問に対し「少しだけ間違っている回答」や「質問の文脈から全く外れている回答」をするような症候群。

普通に生活している人から見ると変に見えますが、極度のストレスを常に浴び続ける人が起こる自己防衛反応だそうです。

袴田さんも「ハワイで産まれた」「大学を首席で卒業した」など事実とは異なることを話しています。
かなり重度の拘禁反応を示しており、現在姉と2人暮らしだそうですが全く会話はない上、毎日突然一心不乱に同じ場所を何度も行ったり来たりするようです。

死刑にならなかったのは冤罪を訴え続けてきたたくさんの方々のおかげですが、冤罪の代償が大きすぎる事件です。
こういった事件が少しでも減っていくことを祈ります。

今回は古い選手の紹介でしたがどうだったでしょうか。
やはりたくさん活躍している方を記事にすると書きたいことが多すぎて長くなってしまいますね。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。

今でもボクシング最強はファイティング原田だし現在でも通用する選手だと思ってる方も多いと思います。
僕もそう思います。
こんな選手もいたんだよってことを多くの方に伝えられれば嬉しいです。
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