咸陽の歴史は秦時代から?地図ではどの場所?キングダムでは戦いの場にも

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こんばんは!

今キングダムを再読しているおーーたです。

何度読んでもキングダムは面白い!

今日はキングダムのキャラではなくキングダムにも出てくる場所について調べてみました。

その場所は「咸陽」という場所で現在の中国にも存在する場所ですよね。

秦時代には国の王都もありかなり栄えていた場所です。

キングダムでは咸陽でも戦いが繰り広げられていました。

その様子もご紹介していきます。

咸陽の歴史は秦時代から?

咸陽16

今の中国の首都は北京ですよね。

しかし春秋時代では咸陽に王都がありました。

しかし今でも咸陽という場所は存在しており、王都があっただけに立派な建物も建っています。

僕もそうなんですが中国に詳しくない限り咸陽という場所を知らない人が多いのではないかと思い、今回咸陽について書いていこうと思いました。

咸陽の読み方

咸陽15

まず咸陽って何て読むのって話ですよね。

この字は「かんよう」と読みます。

「陽」は太陽や陽気など小学生で習う簡単な漢字ですが、「咸」この字はあまり見ないのではないでしょうか。

少し調べました。

咸陽1

音読みは「カン」しかないのですが、訓読みは「ことごと(く)」「みな」とも読むようです。

でも「ことごとく」とパソコンで打っても(悉く)や(尽く)しか出てきません。

意味としては「全て」「広くいきわたる」「やわらぐ」「同じくする」などの意味があるようです。

漢字検定では1級で出てくる漢字なので漢字検定3級の僕がそら知らないわけだ。

どうですか?漢字の勉強になりました?

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春秋時代

咸陽3

本題の歴史について書いていきます。

咸陽の歴史=秦国の歴史といえます。

なぜなら中華を初めて統一した秦国(紀元前221年~紀元前207年)の首都が咸陽だったからです。

始皇帝は中華を統一後、上陽という場所に最初の城を立て全国の富豪12万戸をここに移住させます。

その後りっぱな宮殿を続々とここに建造していきました。

当時宮殿の数は270以上あったんだとか。

秦国の宮殿を咸陽に決めた始皇帝は咸陽宮で国政を行うと決め咸陽は政治、経済、交通、文化の中心になりました。

そして中国最初の帝国は深い文化的な歴史を持っていきます。

始皇帝の誕生日には毎年壮大な宴があったようで、今の日本でいう東京のように人が集まる場所だったんでしょう。

かなり賑やかで大きな町だったことが想像できます。

秦時代にも咸陽はありましたが、中華統一後その面積を広げ今の咸陽市とは比べ物にならないほど大きな都市だったようです。

咸陽4

統一前の秦国では石鼓文(せっこぶん)・詛楚文(そそぶん)と呼ばれるものがあり、秦国の資料に使われている言葉です。

世界が出来て初めて中華を統一した秦国。

秦国をもっともっと強くし面積を広げようとした始皇帝。

万里の長城って知ってますよね。

咸陽17

その万里の長城を作ったのも始皇帝です。

この歴史知らなかったでしょ。

僕も知りませんでした。

しかし始皇帝はこれだけでは満足しなかったんです。

万里の長城と並行して阿房宮(あぼうきゅう)という大宮殿も建ててしまいます。

阿房宮

咸陽13

秦の始皇帝が建てた大宮殿。

始皇帝に即位後咸陽の宮殿は小さいとし、別の場所に阿房宮を建てようとした。

完成した宮殿には1万人が座ることができるほど巨大な宮殿だったとか。

しかし阿房宮が完成する前に始皇帝は亡くなります。

まるでコンサート会場みたいですね。

始皇帝は完成した阿房宮を見たかったに違いない。

無念。

作業していたのは誰かというと農民を使いました。

あんな大きなもの建てるのは簡単じゃないですよね。

始皇帝が中華を統一したことで、農民は過酷な労働を強いられてしまいます。

キングダムの政がまさかそんなことするなんて思いたくないですが、実際の始皇帝は自分の事しか考えてない自己中人間でした。

こんな大きな都市があったにも関わらず、その歴史はすぐに終わってしまいます。

漢時代

咸陽2

秦時代には咸陽がかなり栄えていましたが、それも数十年の話。

漢時代には咸陽の城がことごとく破壊されていきます。

原因は始皇帝から続けられたわがままな政策でしょう。

農民の不満が高まり反乱が起こります。

不老不死に興味を持った始皇帝は水銀に手を出してしまいます。

そして自ら寿命を縮めてしまう。

始皇帝亡き後二世皇帝になりますが、こちらも秦国をやりたい放題。

始皇帝が亡くなったことがきっかけで陳勝・呉広の乱が勃発し全国で混乱状態が続きます。

この反乱は世界で初めて起こった農民による反乱だと言われています。

最期は劉邦(りゅうほう)という人物によって秦国は滅ぼされました。

劉邦

咸陽12

前漢の初代皇帝。

反秦連合に参加した後、秦の都咸陽を陥落させた人物。

天下を獲り家臣たちと宴をしたいたとき劉邦がふいに

「皆、わしが天下を取りライバルである項羽(こうう)が敗れた理由を言ってみよ」

と聞いてきた。

それに対し家臣が

「陛下は傲慢で人を侮るが功績があった者には惜しみなく領地を与えます。それに対し項羽は功績のあるものにも恩恵を与えようとしませんでした」

と答えた。

それを聞いた劉邦は貴公らは一を知って二を知らないとし

「わしは3人の英雄のような活躍はできない。しかし3人の英雄を見事に使いこなすことができた。そいれがわしが天下を勝ち取った理由だ」

と答えその答えに家臣たちは敬服したという話があります。

いつの時代も人をうまく使いこなすことができる人が強いという事ですね。

僕は天下取れそうにないです。

話は戻りますが劉邦によって秦国が滅ぼされ、咸陽にあった宮殿もたくさん壊されてしまいました。

そして漢という時代が始まります。

漢では長安という咸陽に近い場所が王都になり、現在残されている咸陽の宮殿は漢時代の建物の影響を受けているものがほとんどです。

それでも秦国時代の王宮が残っているというのは素晴らしいですね。

時代を感じます。

現在の咸陽市

咸陽8

現在は約500万人が住む地球市

秦国時代の歴史の資料が多数あり、資料館も建設されています。

咸陽14

始皇帝が築いた土地という事もあり、咸陽には博物館が建てられています。

もともとなぜ咸陽という名前が付けられたかというと

咸陽5

風水において昔から山の南側、川の北側を「陽」と言います。

そして咸陽はどこにあるかというと岐山の南そして渭河(いずい)という川の北側にあります。

先ほども書きましたが咸陽の「咸」の意味はことごとくやみなという意味でしたよね。

ことごとく陽の位置にある為「咸陽」という名前になりました。

とても興味深い話です。

今の中国は急速に都市化が進んでいますよね。

咸陽も例外ではなく中心地には高層ビルが立ち並んでいます。

都市化され住みやすく観光客が訪れやすくなるのはいいことですが、始皇帝時代の地形の面影がなくなってしまうのはどこか寂しさも残ります。

今僕はパスポート持ってないので外国旅行行けないんですが、取った際はぜひ春秋時代の土地を巡ってみたいと思います。

そんな記事も書けたら面白そうですね。

咸陽の場所は地図のどのあたり?

咸陽18

僕自身が中国の地形について詳しくないのですが、陽咸は中国の真ん中より少し南側に位置しています。(赤ピンの指してあるとことが「咸陽市」になります。)

※コメント欄でご指摘を受けました。

前回張り付けてあった地図には咸陽は記載されていなかったので、別の地図に変更してあります。

ご迷惑をおかけして申し訳ございません。

主都である北京から車でどのくらいの時間がかかるか調べてみた結果はこちら。

咸陽9

約12時間もかかるほど遠い!

さすが中国大きい国ですね。

会社にモンゴルの近くに実家がある子がいるんですが、実家に帰るときは飛行機を乗り継いで約1日かけて帰らないといけないそうです。

咸陽には空港も

咸陽19

咸陽には空港もあり空港名は「西安咸陽国際空港」

中国南方航空中国東方航空など大手の航空会社の飛行機も飛んでいます。

この航空会社の飛行機は関西空港にも飛んできます。

僕も職業柄よく目にしますよ。

咸陽を地図で調べると秦時代そして春秋時代の分かりやすい地図も出てきたので一緒にご紹介したいと思います。

春秋時代地図1

これが春秋時代戦国時代の地図です。

咸陽は王都であるだけに秦国の真ん中に位置してますね。

春秋時代地図2

これが秦が中華を統一後の地図になります。

咸陽を目印に見てみると今の中国がいかに広いかがはっきりします。

ホントにわかりやすい地図。

万里の長城も書いてくれています。

さすが長城というだけありすごく長い。

こんな城を数年で作らせたら反乱を起こすのもうなずけます。

キングダムでは咸陽が戦いの場に?

キングダム

キングダムでは序盤の戦で咸陽が使われていました。

信がまだ戦に出る前、漂を亡くしたきっかけとなった戦です。

キングダム読んでて知らない方はいないと思いますが、政の弟である成蟜 (せいきょう)が反乱を起こし、政の命を奪おうとしましたよね。

それに対抗するために山の民と手を組み王の座を取り返す戦いをします。

山の民の代表である楊端和についても書いているので良ければどうぞ!

楊端和の歴史や性別は?内田が実写コスプレ?画像も

その戦いの場が王都である咸陽でした。

何度も書いているのですが、山の民と手を組む話がとても熱い!

かっこいいですよね。

自由、そして平和を手に入れる為に一緒に戦う姿は。

史実での始皇帝は中華統一後トチくるってしまいましたが、中華統一を目指すきっかけは純粋に自由と平和が欲しかったからではないでしょうか。

さいごに

咸陽20

咸陽に付いて書いていきましたが、咸陽を調べているといろんなことが分かりました。

咸陽の名前の由来や中国の歴史まで。

全てが興味深かったですし、もっと詳しくなりたいと思えて書くのがとても楽しかったです。

いろいろ調べすぎて書くのが進まないほど・・・。

春秋時代の分かりやすい地図などずっと探していたものも見つかって満足です。

この記事を読んでくれているあなたも満足できれば嬉しいです。

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