長平の40万人が生き埋めってホント?原因は白起?発掘の結果は?

この記事は5分で読めます

スポンサーリンク

おはようございます。

やっと引っ越しが終わり今月の21日から新しい仕事が始まります。

この歳になって新しい職場で一からやり直すの結構大変ですが、同じ職場の方の足をはっぱらないように頑張っていきたいと思います。

今日は漫画キングダムでも登場する中国の長平という場所について書いていきたいと思います。

キングダムでは長平の戦いの場面で紹介されたりもしています。

40万人が生き埋めにされたと書かれておりとても残酷なことをした戦いとして紹介されていますが、実際本当に長平の戦いはあったのでしょうか?

今日はその部分についても調べてみました。

また、長平の戦いでは白起という将軍が活躍したんだとか。

そういったこともろもろ書いていきますのでお時間のある方は見ていってください。

長平とは中国のどこ?

中国の歴史の戦国時代には長平という場所があったようですが、今では長平という名前ではなく「山西省高平市(さんせいしょうこうへいし)」という名前になっています。

ではこの山西省の高平市とはどういった街なのでしょうか。

少しご紹介したいと思います。

総面積は946平方キロメートルあり、日本の新潟県魚沼市と全く同じ面積でした。

濃い赤の部分が魚沼市。

高平市は山西省の中にある市ですが、山西省と比べれば豆粒ほどの大きさしかありません。

これが山西省です。

山西省の一部が高平市になります。

とても小さいですね。

中国の北にある市です。

中国って日本の何倍も大きい国なので、一つの市も日本の県の大きさくらいあるのかと思っていたのですがそんなことないみたいですね。

約13ほどの町があり総人口は約48万5千人ほど。

では日本の人口と比べてみましょう。

高平市と同じくらいの人口の市は千葉県の松戸市でした。

ちなみにこの松戸市は日本の人口の順位の中で上から38番目でした。

ちなみに僕の実家の高知県の人口の一番多い高知市は75番目です。

それだけ中国の人数が圧倒的に多いという事が分かりますね。

そして高平市の特徴として日本と同じく四季があるようです。

日本人なら当たり前のことですが、世界で見てみると日本のような春夏秋冬がある気候は珍しくとても住みやすい気候といえます。

高平市も日本と同じで夏も冬もありとても住みやすい場所なのではないかと思います。

また2018年には山西省で新たに石炭資源が発見されたというニュースも書かれていました。

石炭が取れるという事は今後もっと発展していくのではないでしょうか。

未だに資源が発見されるなんてさすが中国って感じですね。

まだまだ発見されていない資源や歴史がありそうです。

春秋戦国時代の土地についての記事も書いています。良ければどうぞ。

咸陽の歴史は秦時代から?地図ではどの場所?キングダムでは戦いの場にも

函谷関って復元なの?秦時代より小さくて低い?絵や画像で紹介

長平で40万人が生き埋めにされた噂はホント?

キングダムにも出てくる「長平の戦い」とはいったいどんな戦いだったのでしょうか?

全く知らない方のために紹介したいと思います。

長平の戦い

中国の戦国時代である紀元前260年7月に長平(今の山西省高平市)で秦国と趙国とで行われた戦い。

規模でいえば戦国時代最大級とも例えられるほどの大規模な戦いだった。

詳しい戦力は分からないが趙兵士が45万人とされていることから、秦の戦力はさらに上を行くと思われる。

結果秦国の勝利で幕を閉じる形に終わる。

ざっと説明するとこんな感じですが、その当時上位1位2位を占める大きさの国同士の戦なのでその規模は相当なものになったと考えられます。

2年に渡る大規模かつ長期的な戦だとされています。

実際に生き埋めにされた事実はあったのでしょうか?

残念ながらこの戦いで勝利した秦国は降伏した趙兵分の食料が無く、また国に帰してしまうと戦力回復を恐れ生き埋めにしました。

実際は降伏した趙兵約20万人のようですが、40万も20万もあまり変わらないですね。

趙国からは45万人の趙兵が参戦していたと記録されていますが、そのほとんどが帰らぬ人となって戦の幕を下ろしました。

本当に昔は残酷な時代であり実力社会だったという事が分かります。

今の時代を生きる僕たちには想像もできないようなことが日常茶飯事に起こっていたことでしょう。

しかしこの歴史があるからこそ今の中国があり、中国がもし統一されていなければ未だに戦争が起こり日本も知らん顔できない状態になっていたかもしれません。

この長平の戦で45万という大量の兵士を失った趙国はその後どんどん衰退していき、32年後にあっけなく滅亡し秦国の中華統一により秦国の一部となってしまいます。

スポンサーリンク

長平では白起が暴れていた?

キングダムで六代将軍として登場する「白起」ですが、実際に存在していた人物でした。

そして長平の戦いの鍵を握る人物でもありました。

優れた「軍事戦略家兼司令官」であったとされています。

歴史書の「史記」では白起のことを

「敵の能力を正確に分析して巧みに戦い方を変化させ、無限に奇策を繰り出した。」

と書かれています。

沢山の戦に赴いていますが、紀元前292年には魏国を攻略しなんと61の城を陥落させるという快挙も成し遂げています。

そして長平での戦いでも白起の戦略により秦国が勝利を収めることが出来たともいえる戦い方をしていました。

では一体白起は45万人もの趙兵とどのように戦っていたのでしょうか。

長平の戦いの始まりは紀元前265年に秦国が韓国の野王という土地を占領したことから始まります。

野王を占領したことにより野王よりも北に位置する上党群という場所が孤立する形となってしまいました。

このままでは秦国にすぐ占領されると感じた上党群の群守はさらに北にある趙国に助けを求めます

その要求を受け入れた趙国は援軍を上党群に送りました。

援軍が気に入らない秦国王は激怒し趙国に戦を仕掛けます。

これが長平の戦いのきっかけです。

長平の戦いが始まり3度ぶつかりましたが3度とも趙国は敗れ、このままでは負けると感じた当時の総大将「廉頗(れんぱ)」正面衝突を避け長平の城に立てこもり長期戦に持ち込みます

そして2年が経ち趙国を攻めあぐねていた秦国王は総大将の白起に打開策を聞きそれに対しての白起からの答えは「数々の戦を知っている廉頗は難しいが、若い趙括なら作戦がある。」と発言。

趙国の総大将を廉頗から趙括に変えるため、秦国は「秦国は廉頗を侮っており、趙括が将になるのを恐れている」という噂を流す。

それを聞きつけた趙国王は周りの反対を押し切り、廉頗を下げ趙括を総大将に任命する。

趙括はまだ戦を経験したことのない若い将軍だったこともあり、趙国の兵力が秦国よりも多いという事を確認するとすぐに長平城から攻めに出た。

それを見計らっていた白起は全面で少し戦うとすぐに兵を本陣まで下げ、趙兵をさらに前進させるように誘導。

その誘導に乗ってきた趙兵をあらかじめ用意していた伏兵を後ろから攻撃させ趙兵を完全に孤立させることに成功。

そして本陣の防備も固めていたため趙兵も簡単に本陣を叩くことができずまた後退することもできず、秦国に完全に包囲されてしまう。

包囲された趙兵はなんと46日間も食料が届かない状態のまま戦い続け、ついに趙国の総大将である趙括が突撃を敢行しあえなく帰らぬ人となる。

総大将がいなくなったことにより辛うじて生き延びた約20万の趙兵は降伏。

これが長平の戦いの全貌です。

決して秦国が圧倒的有利な状況だったわけではなく、白起の戦略勝ちとしか言えませんね。

そして先ほど書いた惨劇が繰り広げられてしまいます。

白起がどれだけ戦に長けた将軍だったかもわかりますが、廉頗もまた実力のある将軍だったことも分かります。

昔の戦は兵糧がかなり重要な位置にあるんだなって個人的には感じました。

今なら何年も持つような缶詰やラーメンがたくさんありますが、当時はそんな長期間持つような食料なんてごくわずかだったのではないでしょうか。

兵糧攻めという攻め方があるだけにやはり食べ物は戦においても重要な部分なんでしょう。

やっぱ昔の人ってすごいんだなって思いました。

長平での発掘結果は?

1995年には当時の長平だった場所で人骨が発掘されるという事実もあります。

巨大な穴の中に大量の人骨や刃物が発見されており、中には足の部分をケガしている者、胸に矢が刺さったままの者もあったようです。

発見された人骨は数百人分でしかありませんが、そもそもこの戦が起こったのも数千年前の話なので土にかえった人骨もたくさんあるはず。

しかしその数百人の人骨で十分長平の戦が悲惨な状態で終わったことが分かりますね。

生き埋めにされた人は怖かったに違いない。

生まれ変わって幸せな人生を送っていますように・・・。

さいごに

ここまで長平の戦いについて書いてきましたが、この長平の戦いのきっかけは小さな韓国の町を趙国が救ったことにより始まります。

こんな小さなことがきっかけでここまで大きな戦になるんだと驚いていますが、昔の戦なんてそんな些細なことが主な戦の理由だったんじゃないでしょうか。

人は力を持つと器の小さい人間になるという事がよくわかります。

なんかのニュースで見たのですが、そもそも法律があるのは力を持った人が暴走するのを抑制するためでもあるようですね。

その抜け道を探して悪いことをする人はたくさんいるでしょうが、抑制という意味では法律は十分役割を果たしているのではないかと思います。

逆に考えると、法律が無ければ僕たちのような一般人は権力のある人に簡単につぶされてしまうという事。

力を持っている人も持っていない人も平等に住むことができる日本で本当に良かったと思います。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。